どうにも書く気になれなくて、半年が経とうという今になってもまだあまり気が進まない…。
金曜日、片山右京氏の富士山遭難ニュースが朝から流れていた。実のところ自分は前日に出発しこの日に登る予定だった。蓼科山程度で日帰りだから別にどうってことはなかったかもしれないが、ピラタス蓼科ロープウェイのライブカメラで殆ど視界がない状況を見て、これじゃつまらないと取り止めただけ。翌週の天気がものすごく良さそうな予報だったからという理由もある。荒天が長く続きそうだったら延期はしなかったと思う。
右京氏遭難の同じその日に、一組のパーティーが赤岳を目指して入山した。確か日曜か月曜には下山予定だった筈。
週が明けて予報通りものすごい好天に恵まれ、自分は蓼科山に向かった。
その報道を知ったのは帰ってきてから。「赤岳に入山した男女が予定日を過ぎても下山せず。」
結局その後二人は遺体で発見されることになる。別に名前も顔も知らない二人ではあるけれど、澄んだ空気の向こうに眺めた南八ヶ岳のあの場所にその時まさに二人の凍った身体が横たわっていたのかと考えると、どうにもやるせない気持ちになってしまう。雪面で照り返す汗ばむほどの陽射しと凍結した遺体はあまりにも対照的だ。
自分はたまたま予定を変更したに過ぎないし、爆弾低気圧に発達したのは当初予定の出発後、実際に翌週の予想天気図があれだけの好天を示していなければ予定を変えるつもりはなかった。急遽予定を変更できる自由も自分にはあった。
同じ土日には北横での遭難も発生していたので、日帰りのお気楽登山であったとはいえ自分も下山できなくなっていた可能性はある。ホントに僅かな差でどっちに転ぶかわからない。
蓼科山で見上げた空はそのまま飛びたくなるような吸い込まれるほど深い紺碧で、踏みつける雪のギュウと鳴く音とそればかりが印象に残っている。