【写真(1):テント場から薬師岳への登り始め】
まだ暗いうちにもそもそと起き出す。やはり首から肩にかけてがっちがちに固まって全く首が回らない。昨日太郎小屋の前から見た薬師沢から垂直に切り立った(ように見える)雲の平への道を思い出し、この状態でずっしりと思いザックを担いであれを登るのかと思うとげんなり。で、すっぱりと薬師岳へ登る事に切り替えた。と言い訳を並べてみるが実のところ、あの崖のような行く手を見た昨日のうちに、半分くらい行く気をなくしていたというのが本音だったりするが。しかし翌日の体調次第では雲の平へ向かおうという未練もまだ残してある。
明るくなるのを待って出発。テントはそのままに、太郎平小屋と反対方向に歩き始める。荷物が大幅に少ないため、身が軽快。やっぱ小屋泊にすれば楽だったな、と背中の軽さを実感。
【写真(2):ガレ場というかゴーロというか】
薬師平までは大小様々な砕石が積もった急坂が続く。歩き難くはあるが、ここでも身の軽さが効いて苦しさは感じない。
【写真(3):薬師平】
薬師平にかかると木道が現れる。ここから先にはもう急坂はない。
【写真(4):丘の上を右に緩く曲るとやがて薬師岳山荘】
薬師平から尾根筋を目指して登る。尾根に沿って右に曲るとやがて薬師岳山荘がある。
【写真(5):丘の上は広々して開放的】
雲ひとつ無いと言っていい天気。風は冷たいが日影が無くなってからは暑くて汗が滲む。上半身はシャツ一枚になっているが、袖をまくってもまだ暑い。
【写真(6):薬師岳山荘】
国指定特別天然記念物・薬師岳の圏谷群の横を過ぎると、薬師岳山荘が見えてくる。太郎平小屋では通じなかったau携帯もここでは通じる。
【写真(7):薬師岳へ登り始めて薬師岳山荘を振り返る】
薬師岳山荘を過ぎるとガレた尾根道を山頂までひと登りするだけ。振り返ると薬師岳山荘だけでなく、太郎平小屋まで見える景色の良さ。
【写真(8):薬師岳の肩】
薬師岳山頂到着…と思ったところはまだ山頂でないことに、後になってから気付いた。どうりで誰もいなかった筈だ。360度の展望が広がって素晴らしい見晴しだったけど。この東南稜分岐にあるケルンは愛知大学山岳部の遭難碑。
【写真(9):雲の平山荘まで見える】
天気に恵まれ、さらに夏にはないこの季節特有の澄んだ空気により、鷲羽、水晶までくっきり。水晶から落ちる沢筋の先はさすがに手前の尾根に遮られて見えなかったが高天原温泉があるだろう。そして船の舳先のような台地、雲の平には光る点。雲の平山荘だ。祖父岳裾にある雲の平キャンプ場もおそらくあそこだなとわかる。地図と見比べながらぐるぐる見回して飽きることがない。
【そして…】
天気に恵まれたことに感謝しつつテントに戻ったときにはまだ昼。最初から薬師岳登山だけの計画であればここでテントを畳んで帰路につくのが定番だろう。しかしまだ雲の平へ行くことをやめたわけではないので自分はここでもう一泊。
翌日、天気に恵まれたことが良いことばかりでなかったことに気付かされる。まあ、日焼け止めを塗ることを怠った自分が悪いのではあるが。鼻の頭はばりばりになって汁が出て、手の甲は少し腫れている。標高3000mの紫外線を甘く見た報いで、結構深い火傷となってしまったようだ。やばさを感じて雲の平行きはこの時点で取り止めを決定した。
この火傷はかなり後を引くことになる。山を下りてからせっかく奥飛騨温泉郷に寄ったのに、日焼け部分は痛みのため全く温泉に浸ける事はできず、万歳状態での入浴は間抜け過ぎ。すぐに出てきた水膨れは日焼けで皮が剥ける前に発生するものとは様子が違い、まさに火傷の水疱そのもの。日焼けを侮れない事は充分承知している筈なのに、どうして日焼け止めを塗る手間を面倒くさがったのか今思えば理解できないが、何を言っても後悔先に立たず。
日焼けは失敗だったが、ひとつ収穫があった。下りでの足の運び方を、できるだけつま先から着地するように意識して歩いたら、膝痛に悩まされること無く済んだ。雪山では膝痛は起きなかったので、着地の衝撃が膝に悪いんだろうなとは思っていたが、どうやらその通りだった模様。数年前までは何をせずとも膝痛なんてなかったのに、まあ歳には勝てないんで、今後はせいぜい歩き方に注意するとしよう。