
事故はひとつの原因のみで起きることは少なく、小さなミスの積み重ねで窮地に追い込まれることが大半です。事故が起きないように注意を怠らないのはもちろん、予め事故を想定してすぐリカバリーできる準備をしておくことも重要です。
一人で山に入るなとはよく言われることです。単独行が好きな自分には耳の痛い話ですが、たった一人で窮地になったら抜け出すのが難しくなるのは確かです。携帯も通じない、めったに登山者も通らないような場所でもし動けなくなってしまったら、偶然誰かが通りかかって発見されるまで祈りながら待つしかありません。なので、できれば複数人で山に入って下さい、と一応言っておきます。
用心深いのはいいことですが、あれこれ考え過ぎて装備の量が増え過ぎてしまうと、その重量で疲弊しかえって危険を招いてしまうこともあります。装備は必要最小限でかつ必要充分でなくてはなりません。必要な物と必要でない物がわかる為にはやはり何度も山にいってみなければなりませんから、距離の短い所から始めて徐々に距離を延ばして行くことが王道です。また、条件さえ良ければなんの装備もなくても登れてしまうものですが、それだけでちょろいと思い込んでしまうのは危険です。
道具の破損
靴のソールが剥れたり、ストックが折れたり、一番嫌な時に限ってそういった道具の破損が起きたりする物です。ストックが折れたくらいだったら我慢すればいいことですが、靴のソール剥れは下山が非常に困難になります。全ての物の予備を用意しておけばいいのですが、持てる荷物が限られる登山ではそれは無理な話です。臨機応変に対応するしかありません。
粘着力の強力なガムテープは万能の補修具になります。靴ひもが切れることを想定して靴ひもの予備も持って下さい。靴ひもは細引きの代わりにも使えますし、案外重宝するツールのひとつです。ビクトリノックスのような万能ナイフを持つのもいいかもしれません。服や木の枝を切り裂いて紐代わりに使ったり、ピックで何かに穴を空けたり、いかようにも使い道のあるツールです。
怪我
ねんざ、骨折、打撲、擦り傷切り傷、どれも嫌ですが、特に足の怪我は下山が困難なものもありますから、怪我をしない注意はもちろん怪我をしてしまった場合の救急セットは常に持ち歩く必要があります。
応急処置の仕方を憶えておくと心強いですね。テーピング方法を憶えれば、ねんざくらいなら無事自力下山することが可能になります。
骨折の時はガムテープとストックを使って骨折箇所を固定することもできます。限られた荷物の中で手持ちの道具を最大限に活用して下さい。
病気
標高2000mくらいで飲み干したペットボトルが、下山後は半分くらいにつぶれています。たった2000m程度でこの気圧差です。気温も下がります。それだけ日常とは違う環境なわけで、身体には様々なトラブルが起こりえます。
2000mくらいから高山病になる可能性が出てきます。健康であれば2000mくらいではまずなりませんが、酷く体調を崩している状態なら場合によっては1500m程度でも高山病になるかもしれません。寝不足で高い山に登るのはやめた方がいいかもしれません。まず頭痛などから前兆が始まりますが、頭痛なんかは高山病じゃなくても起きやすいですから判断が難しいところです。まあ、苦痛を抱えながらでは登山が楽しくないでしょうから、すぐ下山するべきでしょうね。
夏でも低体温症による死亡事故があります。突然の雨、濡れた服で稜線の強風に晒されれば急速に体温を失います。近くに山小屋か避難小屋があればすぐに逃げ込めますが、なければ岩陰や窪みの風を凌げる場所で荒天をやり過ごすなどしなければなりません。濡れたままの服ではなかなか体温が回復しないし惨めな気分ですが、替えの下着を持っていれば幸せになれます。日帰りだとしても予備の下着を荷物に入れておくと良いです。ザックは完全防水ではないので中身が濡れる可能性があります。予備の下着など濡らしたくない物はビニール袋やスタッフバッグなどの防水性のある袋に入れて下さい。
道迷い
迷ったかなと思ったら引き返せというのは鉄則です。確実に現在地を把握できていた場所まで戻れば正しい道の検証ができます。そのためには頻繁に地図を見て現在地を確認しておくことも必要になります。
行きと帰りでは見る方角が違うので全く違った道に見えることが良くあります。なんと言っても長時間の行動なので、行程中の全てを記憶しておくことは難しく、だいたい「あれ、こんなとこ通ったっけかな?」ということが数回はあるものです。特に足元ばっかり見て漫然と歩くとそうなる危険が大きいので、顔を上げて景色を良く見ながら歩くことが肝心です。
良くあるトラップが、Y字路なんかで二股側の一方から来た時、行きは一本の道にしか見えなかったのに帰り方向から見るとふたつに割れた道となってどちらから来たかわからなくなること。自分が来た方向とは違う方が太い道だったりということもよくありますので、非常に間違いやすい罠です。とにかく周りを良く見ながら歩かなければなりません。
間違いやすい道は誰もが間違いやすいもので、多くの人が待ちがって踏み込むために本道より立派な道が出来てしまっている事もあります。先に進むと道が消えたり頼りない獣道みたいになるので大抵はすぐ気付きますが、ぼ〜っとして歩いていると気付くのが遅れます。
行きと帰りで同じ道でも時間や距離感が違って感じられます。地形や疲労具合によっても距離感が変わったりします。記憶や感覚だけに頼って歩くと騙されてしまうことがよくあります。自分がどの辺にいるのかたまに地図で確認して感覚を補正しながら歩かないと、騙されたことに気付かないままずるずると先へ進んでしまうことになりかねません。時計を見て時間を確認することも感覚を補正するのに役立ちます。
少しでもおかしいと感じたら、地図で照合しながらすぐに引き返してみることです。それができずにだらだらと進んでしまうと、戻るのが億劫になりさらに引き返せない悪循環が始まります。完全に迷ったと認識する頃には手遅れである場合が多いものです。おかしいなと薄々感じながら、都合の良い事実だけに目を向けて正しい道だと信じ込ませる。楽な方へ誘う誘惑には負けず、客観的にならなければいけません。
いくらコンパスと地図を駆使しても、基準となる目標物がなければ現在地を割り出すことはできません。遠くに見える山や川、崖など特徴的な物と地図を照合するのですが、樹林帯の中やあるいは濃霧など、目標物が見えない状況ではお手上げです。複合的なY字路で引き返したつもりがさらに別の道に迷い込むこともあります。そうなると目標物を求めてさまよい歩くことになってしまいますが、ここで山の特徴を思い出して下さい。山と言うのは裾野が広く、上へ登るほど狭くなります。何本もある登山道も山頂でひとつになります。つまり、山頂まで登れば確実に正しい道を探すための手掛かりがあるわけで、完全に行く方向が分からなくなったらとにかく上へ登り返せということです。疲れてるとそれがなかなかできないんですけどね。
遭難の1/3は道迷いだということです。統計には現れませんが滑落など直接の事故を引き起こすきっかけとなった道迷いを含めれば、もっと多くの割合になるはずです。充分に注意して下さい。
滑落
クライミングは除外するとして、一般登山道の見るからに危険そうな箇所では案外事故は少ないものです。魔が差すとはよく言ったもので、危険個所を通過した後、なんでこんな所でと思うようななんでもない場所、もうほんの少しで到着という時、まさに魔が差したとしか言い様のない道迷いや滑落事故が起きます。
目を瞑って片足立ちで何秒立っていられますか?
片足でスクワットができますか?
転ぶとは考えてもみない所でこそ躓いたり足が滑ったりするものです。立て直せるかどうかはバランス能力に関わってきます。バランス感覚は歳をとると急速に衰えているもので、自分のバランス能力を試してみると愕然とするかもしれません。電車通勤だったらつり革に掴まらずに立っているとか、普段からバランス感覚を磨くようにしているときっと役に立つと思います。また、登山靴を持って川原に出向きごろごろした石の上を歩く訓練をするというのも効果があるそうです。
気象
全ての遭難の引き金となり得るのが天候です。風雨に晒され低体温症、日光にやられて熱射病、濃霧に捲かれて道迷い、雨に濡れた岩で足を滑らせ滑落。落雷、川の増水、危険だらけです。人間は自然の中では軟弱なものです。
- 気温
- 10月に谷川岳のロープウェイで天神平に上がると、寒い寒いと言って観光客がぶるぶる震えています。そんな格好じゃ当たり前だろうと思うのですが、下と同じ感覚でいるから上が寒いとは考えてもみないのでしょう。温泉好きなら山の宿にもよく行くでしょうからその辺はわかっていると思います。しかし、車や旅館にすぐ逃げ込めるのと違って、登山では何時間も身体ひとつで、しかもさらに標高を上げて行こうとしているのですから、そう考えれば防寒着の重要さは理解できるのではないでしょうか。風が強ければ気温が10度くらいあっても手はかじかみます。真夏でも標高が高ければ天候により10度なんてよくあることです。理論値では標高が1000m上がるごとに気温は6度下がります。
- 低気圧
- 天気図が明らかに二つ玉低気圧になっているのに、それでも山に登る人がいます。とりあえず登山口まで行ってみて判断しようと出かけて、台風の目のような疑似好天に騙されて突っ込んでしまうというパターンもあります。熱帯低気圧なら平気だろうと大勢が登山して、実は勢力が台風並だったために大量遭難が起きたこともありました。それ以後テレビの天気予報でも「台風並みの」と注意を喚起するような言い方に変わりましたが、ごく基本的な天気の知識がないために騙された例です。
- 強風
- 地上ではちょっと風が強いかな程度の日でも、山では風速20mの台風並みだったなんてこともざらです。人の入ったテントごと吹き飛ばすような強い風が吹くことだってあります。天気図で気圧配置を見て、上空の風速や気温も調べ、少しでもきついかなと思ったら君子危うきに近寄らずです。
- 雨
- 山での雨は、平地の雨と違って半端ないことがあります。まさにバケツをひっくり返したという表現がぴったりくる、凄まじい豪雨に見舞われることもあります。殆どが短時間で過ぎ去りますが、気を付けなければいけないのは河川の増水です。ほんの数分で1メートルも水位が上がったりすることもあります。上にダムがなくてもです。前方にいた人が無事に徒渉できたとしても、自分が安全に渡れるとは限りません。水位が下がるのも早いですから、安全になるまで待つべきです。雨が上がった後でも地面が濡れて滑りやすくなっているので、特に岩場や木の根などは慎重に歩いて下さい。
- 落雷
- ピカッ、ゴロゴロゴロ、ドーン、なんて悠長な雷ではありません。光ると同時にターン!!と凄まじい破裂音がします。しかも上からだけでなく横からも下からも、四方八方で雷が飛び交います。運悪く雷雲に捲かれたら、金属と言う金属は共鳴して唸りだし、全身の毛が逆立ち、空気はしゅわしゅわと振動します。高い木から○m離れろなんていう雷マニュアルは全く役に立ちません。生き延びられるかは運次第です。近くに小屋があるならすぐに小屋の中へ避難して下さい。なにより一番いいのは、雷雲には近付かないことです。夏の午後は暖められた空気により発生する上昇気流で雷雲が発達しやすい状態になっています。午後に稜線を歩いているなんてことのないよう、早出早着を心がけて下さい。
危険生物
なにしろ自然が相手ですし、そもそも彼らの生息域にわざわざ踏み込んで行くのですから、人間にとって好ましくない生き物との遭遇は避けられないことかもしれません。
- スズメバチ
- 山での遭遇率も高く、好戦的で最も危険な生物です。スズメバチに遭遇したら、速やかに巣から遠ざかるしかありません。まずホバリングしながらカチカチ警戒音を鳴らしますので、この時に手で払ったりするとイッキに攻撃モードに移りますから、絶対に手を出さず静かに遠ざかります。
- 熊
- 出合い頭の遭遇が危険です。熊は臆病な性格で、普通は人間の姿を見つけると逃げて行きますが、ばったり遭遇して逃げ道がないと攻撃行動に出ます。興奮すると手が付けられなくなるので、できるだけ落ちつかせるようにゆっくり後ろに下がって距離をあけるのがいいとされています。熊は山道を時速60キロで走れるそうですから、走って逃げても敵う筈ありません。熊に人間の存在を知らせる熊鈴というものが売っていますが、自分は野湯探し以外で付ける事は滅多にありません。付けるかどうかは季節とか山域とか登山者の数とかで判断しています。グループで行く場合には全員が熊鈴を鳴らしているとうるさいので、何人かにひとつの割合で持つ方がいいと思います。
- イノシシ
- イノシシが危険だとはよく聞きますが、自分は今のところイノシシと出会ったことはありません。猪突猛進と言うくらいでまっしぐらに襲ってくる奴らですから、良い対処法というのもちょっとわからないです。
- 猿
- 意外に侮れないのは猿。餌を与える人もいるのか人間を恐れず、しかも攻撃的です。人間を脅して餌を巻き上げた経験のある猿は味をしめて何度でも人間を襲います。なんだ猿かと侮るのは危険です。ナイフのような歯は指を食いちぎることだってできます。餌を与えるなんてのは論外として、彼らとはできるだけ近付かず距離を保つようにして下さい。
- アブ・ブヨ
- 嫌ですね、こいつらは。アブに咬まれると結構痛いし。アブやブヨの活動シーズンには虫よけスプレーなどで防御しておくにこしたことはありません。あんま効果ないけど。また、市販の虫刺され薬を持つことも忘れないように。症状が酷い場合にはステロイド系の薬が効果的ですが、副作用が心配されるので医師に相談する必要があります。何箇所も喰われると体調を崩すこともありますし、体質によっては酷く腫れる人や熱を出す人もいますので、甘く考えず少しでも体調がおかしいと感じたらすぐ下山して医者に行って下さい。酷くなってからでは下山が困難になります。アブやブヨでだってアナフィラキシーショックを起こすことがあるのです。
- ヒル
- 比較的低山の湿った森の中にいます。スパッツを着けていても隙間から潜り込んできます。取り付かれてもまったく感触がないので、気付くのは登山終了後のことが多いです。足からばかりではなく、首筋から入り込んでいることもあります。背中に何匹も取り付かれているのを見ると発狂できます。満腹になると自分から剥れますが、血を吸っている間は引っ張っても簡単には剥がせません。ライターで炙るとぽろっと取れます。ヤマビルファイターという忌避剤が売っていますので、ヒルのいそうな場所に行く時には靴やズボンの裾などにスプレーしておきましょう。特に野湯探しには必需品です。